寺山修司生誕の地 紺屋町35番地
築城当時から染物屋の町として町割りされた紺屋町
35番地
弘前市紺屋町。弘前城築城当時から染物屋の町として町割りされた紺屋町。昔は染物のことを紺屋と言っていたことから町名になったといわれています。
そしてここ紺屋町の35番地は寺山修司の出生地と言われている場所です。
弘前駅から紺屋町まで距離にして3キロ,車で10分ほど、タクシー料金で1090円ほどです。(目安料金)
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四神の北の神、玄武にちなんで命名された町
四神
弘前公園北門(亀甲門)前の堀沿いにある亀甲町。茂森町と共に弘前城築城当時から町割りされた町。
城を守る四神、北の神の玄武にちなんで命名された弘前城にゆかりのある歴史ある町です。
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歴史ある町「大浦町」
歴史ある町
藩祖「為信」が1571年に大浦城で津軽統一の旗揚げをし、津軽を統一して津軽為信となる前の苗字が「大浦」。歴史あるこの「大浦町」は、弘前城築城当初は弘前城内の一画に町割りされ、その後、弘前城外に町割りされ藩の重臣たちが住んでいた侍町。
弘前公園の外堀のすぐ近くに位置する「大浦町」は、近くに弘前ねぷたを常時展示し、津軽の民芸品の製作実演、津軽三味線の生演奏など津軽を丸ごと体感でる「津軽藩ねぷた村」、「小山せんべい店」などあります。
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昭和の時代には3件の映画館があった「元寺町」
寺院街から商人町へ
弘前城築城当時はお寺が立ち並ぶ寺院街、寺町と呼ばれていました。1649年(慶安2年)の火事で数箇所の寺が焼け、現在の新寺町に移転し、その後は商人町になり「元寺町」と呼ばれるようになりました。ちょっと昔の昭和の時代には「東宝」「スカラ座」「オリオン座」の3件の映画館があり賑やかな町でした。
弘前公園のすぐ近くの「元寺町」には、弘前教会(東北最古のプロテスタント教会)、弘前で最も古い旅館の石場旅館、近代和風建築の割烹翠明荘など文化財が多数残っている町です。
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今もはっきりと跡が残る「茂森桝型」
城下町弘前で最初に町割りされた「茂森町」
禅林街門前町
城下町弘前市で最初に町割りされた最も古い町「茂森町」。近くに重森山があったことに由来するそうです。弘前城の防衛としての役割をした禅林街、長勝寺構の入り口に位置する町です。いまでも寺院街の入り口には茂森桝形がはっきりとその跡を見ることができ、春彼岸・お盆・秋彼岸・年末などは茂森枡形を中心にお墓参りの人や出店などで、大混雑する賑やかな町。
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偉人の町
弘前市在府町、藩政時代時代初期には足軽町と言われていたそうで、その後江戸で召し抱え侍を住まわせたことから在府町と呼ばれています。ここ在府町は数々の偉人を輩出している町。晩年、青森市長を務めた日本民俗学の先駆者「笹森儀助」、近代ジャーナリストの先駆け「陸羯南」、中国革命に深くかかわった山田兄弟など、優れた人材が生まれ育った偉人の町、弘前市在府町です。
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今も良質の水が湧き出る「紙漉町」
富田の清水
弘前市市内の土淵川沿い弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅と弘高下駅の中間にある津軽4代藩主信政が貞享3年(1683年)町割りした「紙漉町(かみすきまち)」。白神山地の伏流水の湧き出るこの周辺は紙漉きに適した良質の水が湧き出ることから紙漉職人を設けて各種の紙が作られていました。そしてここで作られた紙は幕府の献上品になったりしたそうです。良質の水が湧き出るここ周辺は「富田の清水」をはじめ、蕎麦屋さん、酒屋さんなど当時のおもかげを残しています。
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